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ベルガモット

薬草としてのハーブの歴史
ーブを医学的に使用しているのは5000年ほど昔から使用されているといわれています。しかしそのころはきちんとした効用は認識してはいませんでした。薬草を治療の補助的な使用から主役になった時代までをメインにまとめてみました。
メソポタミア時代 (紀元前3000年)
在の西アジア、イランのチグリス・ユーフラテス川沿岸地方で世界初の人類文明「メソポタミア文明」は築づかれました。この文明はイラン高原の中央部から北メソポタミア地方、パレスチナ、エジプト北部にさらに数千年以上も前から始まっていた農耕・牧畜文化がその基盤となっていたのでした。 チグリスユーフラテス川の大洪水により得た沃土により農耕が一層盛となり、それが発展して、町や都市を形成することになりました。その結果、メシュール人による神官を中心とした国家体制が築きあがりました。そんな時代の医学は呪術が一般的でした。病気になるのは悪霊が体に取り付いた為とし,それを追い払えば良くなると信じられていました。そこで使用されていたのが腐れた動物の脂肪や動物の排泄物など悪臭の漂うものです。これらを原料とした薬を飲むことにより体内の悪魔が追い出されていくと考えられていました。そしてそれと一緒にハーブなどの薬草も使用していました。煎じて飲んだり、燻煙剤として使用したりまた、塗り薬として使われていました。しかしこの時ハーブは医学的効用がある事の認識は薄く使用する時に呪文を唱える事により効能が出てくると思われていました。結局治療の主は呪術でそれを手助けするのが薬草だったわけです。
エジプト時代
ジプトの治療は宗教がらみでメソポタミアとほとんど同じですが、薬草学などではかなり進んでいます。また、体内に入った悪魔を追い出すことが最優先と考えているためメソポタミアで使用されていた吐剤や下剤の利用が主となっていました。またそれとは別に乳香やハッカ・蓮華草など現在使用されている生薬の1/5が登場しています。また予防面でも進んでいました。王や神官などが進んで病気の予防を行っていました。月に3日間は吐剤を使用して体内をきれいにしたり、家屋で燻煙によって殺菌をしていました。また医学は宗教的意味合いが強かったので進歩自体はあまりなかったようです。
ギリシア時代
リシア時代になると今まで病気の原因となっていたのが体に悪魔が入り込んでいたという考えから、何らかの原因によって引き起こされたものだと考え始められました。そのため症状は人間が病気から自分自身で回復をしようとしている現象であり、その回復力を手助けするのが薬草であり、医者であると考えられました。まで同じような治療をしていたのを正しく見極めその症状にあった治療をする事が大切になってきました。
ローマ時代
ーマ帝国が繁栄しその結果100万人もの人が一つの都市で生活することになりました。そのため疫病を防ぐために大規模な上下水道などが建設されました。紀元前100年頃アスクレピアデスは臨床家として優れており脈拍の観察など現代治療に近い観察をしていました。そのため更に期待通りの効果が得られるような薬草を使用するためにさらに薬草学も発展しました。
アラビア医学 (7世紀頃)
アラビア諸種族を統一してアラビア国家を建設し、ギリシア・ローマの文化を受け継ぎました。アラビアの薬は東西各地から輸入してとても豊富に存在しました。このころ錬金術や不老不死の薬の開発などが盛んになり、今日の化学技術の基礎となっています。
西ローマ帝国の滅亡後
僧侶のベネディクトウスが南イタリアの修道院を建設しました。そこでは、古代の医学書を基に薬草を栽培していました。これが薬用植物についての書物を発展させる要因となっていったのでした。その後ヨーロッパ各地に修道院が建設されていったのでした。
ルネッサンス
ラビア・ギリシアの古典医学書を読み、自然植物を観察する薬学者が輩出されていきました。それを元に実験や自然観察をした結果をまとめたのがその後2世紀のもわたって教科書として使用されていました。
 近代
の効能がある成分だけを植物から取り出すことに成功しました。そのおかげで薬学自体大きく発展をしていきました。それを使用すると必ず期待通りの効果が現れるため主としての治療方法となっていきました。そのため植物の薬草を直接使用するということが少なくなったのです。



  

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